10.26.2010

藤と萩@平等院

藤は藤原の藤




雨上がり、露を含む紅萩

白萩の小道


横広がりをさせぬように?括ってある(・o・)ノ


ここは、乱れ咲く紅萩、紅橋

10.25.2010

平等院鳳凰堂 初日

雨宿り@源氏ミュージアム
菊に真綿を被せて香りを移す


川に、山に、霧が降りている





夏は養鸕の宿となる



宇治川


平等院の門


華の阿弥陀仏。
 天喜元年(1053)2月19日の夜明け前(2時)京都を出発して、宇治に到着したのは正午だったという。京都からの距離はそれくらいナノダナ。





宇治平等院 中日

宇治川は水量が多くゴウゴウと流れる

紫式部像@宇治橋のたもと



黄檗山・万福寺



水に映る鳳凰堂

鳳凰と五位鷺?

御堂に入るには、履物を脱ぐ。北翼廊

抹茶ソフト
お茶団子


シャッター通り


黄檗、駅に向かう商店街(遺跡?!)

夕日を背にした鳳凰堂のシルエットが浮かび上がる  宇治川沿の小道から生け垣越しに望む


浮舟と匂宮の像

鰊茶ソバ
宇治でチャンポン

『通円』(宮本武蔵にも登場)にてコーヒーを所望する



宇治上神社ライトアップ

平等院鳳凰堂  最終日

JR駅前のポストは茶壺のかたち


上等のお茶を頂く、折角(^_^;(^_^;


駅弁がとっても楽しみで(^_^)v(^_^)v
帰り着いた渋谷

10.17.2010

Robert Desnos



最後の詩 ロベール・デスノス詩
     平田文也訳



こんなにぼくはきみをはげしく夢見た、
こんなにぼくは歩きまわり、語りつづけた。
こんなにぼくはきみの影を愛した、
ぼくのなかに きみ自身が
なにものこっていないほど。
もはやぼくは さまざまな影のなかの影
影の百倍もの影となり
ゆきつもどりつするばかり
かがやかなきみの命のなかを





Le dernier poème

J'ai rêvé tellement fort de toi,
J'ai tellement marché, tellement parlé,
Tellement aimé ton ombre,
Qu'il ne me reste plus rien de toi,
Il me reste d'être l'ombre parmi les ombres
D'être cent fois plus ombre que l'ombre
D'être l'ombre qui viendra et reviendra
dans ta vie ensoleillée.

マン・レイ展(知られざる創作の秘密)



魅力的な女性達との出会いが鏤められた生涯だったという。
その女性達を見たいと思い、展覧会に出かけた。
詩人、彫刻家、モデル、女優…
輝く表現者が次々と。
光を、互いに反映し合い、また、他者に反射して、煌めきの焦点が形成されたーーー

旧き良き時代。

二十代で、憧れの女性と短い結婚をし、解消した後、パリに渡る。
モンパルナスの女王キキ(1901〜1953)と同棲、マン・レイ(1890〜1976)が彼女のスタイリングを手がけものだという。
そのキキと、ロベール・デスノス(1900〜1945)が出演するフィルムが上映されていた。
ロベール・デスノスは、強制収容所で亡くなるのだが、夫人宛に、心打つ手紙が残されている。
ユキと名付けられた女性(1903〜1964?)で、藤田嗣治(1886〜1968)の元妻である。

マン・レイと親友ポール・エリュアール(1895〜1952)が、共同制作した本「facile」は、ポールの妻ヌッシュのヌードがとても美しい。
ヌッシュを大戦中に亡くした後、詩人は、ドミニクという女性と再々婚し、「Le Phénix」を捧げた。翌年、没。

ポール・エリュアールの若き日の妻は、ダリ(1904〜1989)に走ったガラ(1894〜1082)。

マン・レイ最後の伴侶;ジュリエットは、長谷川京子似の新鮮な風貌が(写真に)残っているが、晩年の姿(フィルムで見る)は、ちょっとイケスカナイ。老いる、とは、こういうことか。


手探りの実験を続けたようなマン・レイ。
人生を、劇場に擬えることもあるが、彼にとって、ラボラトリーだったかもしれない。
不断の取り組み、新しい視点、前人未到であり普遍的に受け入れられるテーマ、幸運な偶然。
精神にかかわる仕事で友に認められ、好きな人と生活し、恵まれた一生だ。

彼らに、深い悩みや苦しみはあった(からこそ力ある表現者であった)とはいえ。

時間に漂白されて鑑賞に値するオブジェとなっている。

展示を全部見て、少々疲れましたが(^_^;
(^_^;